おせっかいに助けられているという一面

皆さまこんにちは!
優輝です。


お節介・・・「いらぬことに口を出したり、余計な世話をしたりする事、またその人を言う。」コトバンク


最近、このおせっかいについて考える機会がありました。


私はパソコン関係の取り扱いが苦手でした、、、このブログの設定諸々を全て主人にお願いしてやってもらっています。

ある時、「もっと、こういう感じにできないかな~」という要望を主人に言ったところ、あまりに私が色々とお願いしすぎていたのと、あまりに私が出来なすぎるのに腹をたてたのか、、、主人から色々と言われて、私もムカついて、もういいよ!じゃあ諦めるから。みたいな流れになって、私的にはその要望に関しては「終わったこと」になっていました。



ところが、主人の方は、色々言いながらもそのあともずっと調べたり、試行錯誤をしてくれていたみたいで、数日後に、これこれこうやればできそうだよ。。と教えてくれました。

でも、私の中では、もう終わっていることになっていて、色々とうるさいことを言われるくらいなら、やってもらわなくて結構です!みたいな拗ねモードにも入っていて 苦笑

せっかく試行錯誤してくれたのに、冷たい対応をしてしまいました。


その時は、「もうやらなくていい!っていったのに、余計なお世話だよ!面倒くさいな!・・・」って思ってしまい、勝手に試行錯誤を続けていた主人に対して苛立ってしまいましたが、冷静になって思い返してみると、今までも、そういう私の「無茶ブリ」「無理難題」を色々と文句を言いながらも、忙しい時間を割いて試行錯誤してくれていた主人の姿が思い浮かびました。


主人が大変そうだと・・・無理しなくていいよ!って言う事も多いのですが、そのあと、夜通し調べたり試行錯誤を繰り返して、結局私の要望を叶えてくれたケースが今までどれほど多かったことか。。という事に今更ながら気が付きました。

私がもういいよ!って言ったときに主人がやめていたら、出来ないまま、要望は叶わないまま終わっているところを、なんとかしてあげたいという主人の「思い」がそこに詰まっていることをわかっているようで全然わかってなかったんだな~と。


人のために(やらなくていいよと言われても)ちょっと無理をする。
自分がいいと思う事を人に強く勧める。
余計なお世話と言われても、なんとかしてあげたいと思う・・・


など、そういう少し「重い」と感じるような思い=お節介が今まで生きてきた中で、どれほど私の人生を助けてくれていたか・・・



でも、今までは、おせっかいの「悪い面」を見る事の方が多かった。
親のお節介に対して、、、
主人のお節介、、、
友人のお節介、、、
近所のおばさんのお節介、、、

うるさい、うざい、面倒くさい、かえって迷惑、放っといてほしい、ムカつく、関係ないじゃん・・・



お節介のそういう面とは別に、おせっかいをされたことで、助かった、おせっかいをされたことで救われた、、、、その時お節介と思ったけど、あとで思い返すと本当にありがたかったな~という一面


そういう一面もあることを忘れないようにしようと思いました。

※ただ、本当に自分には必要ない!おせっかいがしんどい!と思った時は、ハッキリと「NO!」と言うこともめちゃめちゃ大事だと思います!!相手にしっかりと伝わる様に。



最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝☆を込めて

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Posted by 優輝