チャレンジ ~予測不能をたのしむ~
皆さまこんにちは!
優輝です。
チャレンジとひとくちで言っても、起業するとか、エベレストに登るとか、バンジージャンプにチャレンジするとか、そういういきなり大きなチャレンジでなくても、
いつもと違う経路で会社に行ってみるとか、いつもと違う系統の服を選ぶとか、本当は苦手なランチ会の誘いを断ってみるとか・・・そういう、日常の中での小さなチャレンジを積極的にやってきたいな、と最近思います。
人間は確実性を求める生き物だと言われています
また、太古の時代からの脳の機能により、安全性を求める=生存欲求も強いと言われます。
だから、確実に大丈夫だ!間違いない!というお墨付きがあるのなら、喜んでさっさと飛び込めるが、未知のモノへの恐怖や疑い、不安に対しは尻込みしてしまいます。
チャレンジするという事は、確実性の無いもの=「予測不能の未知のモノ」への挑戦ということでもあります。
いつもと同じことをしていたら間違いない(安全に生き残れる)
下手に新しいこと(もの)を取り入れたら危険かもしれない(生存が危ぶまれるかも)
何か、新しい事、挑戦したいことを目の前にしたとき、「それ、大丈夫なの?」「危険は伴わないの?」「確実に安全なの?」「恥かいちゃうんじゃない?」「損するかもよ」「痛い目にあうかもよ」と、同時に自動思考ががっつり入ってきます。
だから、怖くなります。
そして、理由をつけて、後回しにしたり、無しにしてしまう。
そう、確実性のない予測不能なことへのチャレンジは怖くて仕方がないのです。
生存欲求と直結してくるから(よほどのことが無ければ危険ではないご時世でも、脳の機能的にそう感じ取るから)
不安や恐怖や疑い・・・そういう不快な感情が湧いてくると、憂鬱だし、いっそ逃げて楽になりたい。
そして、チャレンジを辞めて、「いつもの安全圏」へと戻る。
そういう強い引力のようなものが働いているように思います。

だから、小さいチャレンジから始めるのがいい。
予測不能なモノに慣れるため。
何度も何度も、小さなチャレンジを自分の意志で、自分の選択で行っていると、自己肯定力も高まります。
「私、できるかも」
※同じチャレンジでも、人から「やらされた」とか、そういう圧をかけられたから仕方なく、、、ではせっかくのチャレンジがもったいない。
予測不能にチャレンジする!という意識を持って日々小さなことにチャレンジしていくといいと思います。
慣れてきたら、「予測不能の壁」もひょい!と乗り越えられるようになるかもしれない、むしろ、あれ?思ってたより簡単にできた!ってことになる。
そのためには日々の小さなチャレンジ意識が大事で、予測不能を楽しみながらやるのがいいかもですね!
「案ずるより産むがやすし」
~何かをする前にはあれこれと心配するが、実際にやってみると案外簡単にできるものだという事~
私は、今日、〇〇駅(結構遠い)までチャリでいってみようと思います。
わりと方向音痴の私、ハッキリ言って自信は無し!ですが、、、苦笑
では・・・
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて☆
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