心配事さがしのクセ
皆さまこんにちは!
優輝です。
だいぶ涼しくなってきましたね。
今日は久々にクーラーではなく、自然の風で過ごしております。
爽やかですね!
さて、最近、心配事が尽きないな~なんて思ってげっそりしていたら、、、、あれ?私って心配事を探すの癖になってる??って気づいてしまいました。
心配事って、その渦中にいると、とても落ち着かなくてモヤモヤして、イライラして、集中できなくて、心ここにあらずになって判断は鈍るし、憂鬱で不快ですよね。
でも、解決したり収束したりして、しばらくたって思い返してみると、たわいもない事だった。
なんであの時あんなに気をもんだんだろう・・・ってなりませんか?
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」っていうやつですね。
(もちろん、もう思い出したくもない!っていう事もたまにありますが)
それで、
あースッキリしたーーー!!で終わるのならいいのですが、、、
どうも私は、「心配事を探す」クセがあるようです。
ひとつスッキリしたら、あれ?なんか「他に(心配事は)なかったっけ?」って。。

多分、物心ついたころから、そうやって、心配事を探して生きてきたように思います。
いつしか「心配事探し名人」化してたのかもって思いました。ショック!!!
クセって怖いですよね・・・
もう無意識、自動操縦・・・
そうすると、心配事へのアンテナがめちゃめちゃ高くなる=どんどん心配事センサーが研ぎ澄まされていく。
心配するという事は、「生存欲求」とも関連しているので、必要なものではあるのですが、度が過ぎると厄介ですよね。
とても生きづらく、神経も疲れる→リラックスしずらく体も疲れやすくなる・・・悪循環を生みます。
だから、まずは、心配事センサーが働きだしたら、あっ!また探し始めている!という事に気づくこと(認識すること)が大事になってきます。
長年のクセだから、もちろん一朝一夕で治るものでもないけど、まずは気づくことから。
気づくことで、我に返ることが出来るので、客観視できるようになります。
それでも、心配事が浮上してきたら、そこで、考えて考えて・・・考えまくったり悩んでいるよりも、「心配事の原因」を探ることも大事になります。
考えていても不安で不安で、不安に押しつぶされるくらいなら、しっかりと、心配事を受け取り(受け入れ)、じゃあどうする?いま、何が出来る?というように、現実に向き合った方がいい。
その上で、対処できることならさっさと対処して、対処できない事(どうしようもないこと)なら、誰かに相談するとか、いっそ忘れてしまうという選択肢もあると思います。
受け取りたくない・・・不快だから心配事を視たくない、、、、って避けて紛らわそうとしても、一瞬忘れることはできたとしてもまた近いうちに何度もダイジョブ?本当にダイジョウブ?と・・・ノックをしてくるでしょう。
だから、さっさと向き合って受け入れて、行動をすることがいいのだと思います。
あと、「書き出す」ことも効果的だと思います。
何に不安を感じているの?何が怖い?何を恐れている?・・・ずらずらとノートに書いていくと、気持ちも整理できるし、心配事の「源」を見つけ出せれば、あれ?たいしたことないかも!って気づくことも。。
案外、頭で考えてフリーズしているよりも、行動してみたら「案ずるより産むがやすし」ってことも。
だから、まずは、心配事を探している自分に気づいたら、向き合ってみる事。
それを日々コツコツと積み重ねていこう!と思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて☆
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