本当はどう生きたいのか?
皆さまこんにちは!
優輝です。
毎日(一日一日)をどう生きるか?
朝起きて、いつものルーティン(家事など)を済ませ、家族を送り出し、静かになったところで一息つく。。
そして、さて、今日は何をやろうか?
と考える。
そうだ!昨日の録画があったから視よう!
そろそろ、ご飯食べよう!
あー、特にやること無いから、ヨガでも行こう。。。
なんとも、、、行き当たりばったりのその日暮らし的な生き方をしていることがよくあることに気づきました。
毎日毎日、その時その時でやることを考えたり、その時やるべきことが出てきたら、ただそれに対応する。
流されてるな~。。。と思います。
流されるのが悪い、というわけではないのです。
毎日決まったことや家事を行う事、その時々で起こったことに柔軟に対処することも、それが当たり前にできてしまう事も主婦として今まで培ってきた能力だと思います。
でも、何か、一本「筋」があった方が、生活に活力がでるというか、張り合いが出る。
ただ時間が、一日一日が刻一刻と過ぎていくのを傍観するような日々を重ねるのではなく、何か「筋」をもって生きる事が今の自分には必要だと感じています。
例えば、子供との付き合い方(接し方、関わり方)について。。
子供はそれこそ、自分の要求を自分の好きなタイミングで(こっちのタイミングはお構いなしに)言ってきたりします。
必要事項を連絡しなかったりすることもしょっちゅう。
何度注意しても、また繰り返す。。
だから、そのたびに、その都度、かーっとなってぶつかったり、けんかしたり、、、いつも同じパターンに陥っている。。
そこで、
私はどんな親子関係を築きたいのか?将来的にもどういう関係性で付き合っていきたいのか?
という未来の自分の「在り姿、最終形態」を描いてみました。
自分と向き合い、自分の声を聞く感じで。
出てきた答えは、、、
べたべたした関係ではなく、お互いが自分のやりたいことを遠慮なく堂々と行うことが出来るような風通しのいい関係性。
お互いがお互いを尊重し合うことでそれは可能になると思いました。
そして、だからこそ、一緒に何かをしようってなった時は、思い切り楽しめるような関係性。
こんなイメージを描いてみました。
そのためには、今、何を意識して生きるのか?
目の前の事象に一喜一憂して騒ぎ立てたり、目くじらを立てるのではなく、相手のやりたい事、望みを一旦受け入れてみる。「そっか、、、こういう事がやりたいんだね」
「夢中になっちゃって連絡できなかったんだね」
一旦クッションとして受け入れた後で、こちらの意見や要望を伝えても遅くはないでしょう。
感情がガー!っとなって、すぐに反応してしまう(古い)パターンからのシフトは容易くはないかもしれないけど、意識して生きることはできます。毎日の意識の積み重ねで。。
将来そう在りたいという姿が定まることで、そのために気を付けよう!という意志が働くので。
毎日、オートティックに生きることを積み重ねて、日々が過ぎるのではなく、
最終的にどうなっていたいのか?という最終イメージに到達するために、今必要なことをして生きる日々。
そうすることで、「今」この瞬間(の生き方)への迷いも減るのではないかと思います。
何かの本で読んだのですが、、、
大きな大きな岩があって、それは今の自分の姿で。
その岩の中に、「自分像」がある。
その「自分像」へ向かって、岩を削り取っていくんですが、その際に、、、
何が出てくるんだろう?=どんな自分が出てくるかわからないが何かいいものが出るのを期待してとにかく掘る。
のではなく、
その「自分像」の形はもう分かっている=もう決めている。
周りの余分なものを削り取っていく作業。

この違いわかりますか?
前者は、遺跡の発掘作業のように、何がでてくるか?わからないが(いいもの、価値あるものが出てくるのを期待して)とにかく掘る。
後者は、中にはすでに「完成した作品」があって、周りの余分な岩を削り取ることで、その形を顕現させる作業。
後者は、最初から、もう何を顕現させるか?決めておくことがポイントです。
そうすることで、今を、この瞬間に必要なことをして「生きる」ことが出来るのだと思います。
今この瞬間に、これが必要ようだ!と、明確に、迷いなく今にエネルギーを注げるような生き方。
そういう生き方へ、舵を切りたいと思います。
今日はこの辺で。。。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて☆
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