なかなか手放せない「期待」
皆様こんにちは!
優輝です。
「期待」というやつがなかなか厄介でして・・・・
手放そうと思っていても、もう、無意識で「オートマチック」に稼働してしまっているので、期待に添わない結果だったり、反応だったりすると、これもまた「オートマチック」にがっかりしたり、むかついたり、責めたり、憂鬱になったりする。。

先日の話ですが、新しいレンジ(先日壊れたので)を買い替えて、配送で届いたとき、レンジって意外と大きくて重いし、私でもできなくはないのだけど、できれば休日で家にいた主人に開封してキッチンまで運んで設置して欲しいな。。
と思って「期待」いたのだが、、
疲れていたのか?お願いしても、自分一人ではやりたくないらしく、、、
こっちはこっちで夕飯の準備やら片付けやらで手がふさがっていたので、「それくらい一人でできるよね?」と無言の期待をしていたのだが、、、
待ってるんです、私の家事が終わるのを。
私の手が空いたら、一緒にやろう。と思っているらしく。。
えー今、手空いてるよね?一人で充分できるよね?箱開けて、中身を取り出して所定の場所まで運ぶくらい。。
こっちは手がふさがってるし、わざわざ私を待たなくても始めててくれればいいじゃん!
と。。思ったらムカムカしてきて。。
つい、言葉がキツくなってしまい、険悪な雰囲気に。。
実は、昔からこういうパターン結構多くて、、何かあるんだろうな?とは思っていたのですが。
冷静になってみると。
私は無言の期待を相手にかけることが多い=クセになってるなぁと気づきました。
自分の考えや決めつけ、信念ン、思い込みを基準にして、そのくらいできるでしょ?(言わなくても)とか、そのくらいやるのが普通でしょ(わざわざ言わなくても)・・みたいに。
そして、思い通りに事が運ばなかったり、相手が動かなかったときに、、、「信じられない!」「ありえないわ」となりやすい。
これは、よくよく考えると、自分に対してもある事だと思います。
これくらいできて当然。みんなが出来るのだから、自分が出来ないのはあり得ない(許されない)、むしろ人より上手くできないとダメ。。という思いから、いざやってみて、自分にかけた期待通りにならなかったとき(失敗したり、恥をかいたり、、、)自分に対しての厳しい「責め」が生じます。
勝手にかけた期待に、勝手に破れて(破られて)、自滅している状態。。。
それが「期待」が「失望、絶望」に変わる。。とも言われている理由なのかもしれない。
期待通りに出来なかった自分に対して、ダメなヤツというレッテルを張り失望してしまう。。
自分や相手に対して、こう在るべきという期待は、今(の状態の自分や相手)を否定して、何者かになることを強いるような、そんなエッセンスも含んでいる。
そう思った時に、当たり前の事だと思っていた、「ありのままの自分を受け入れる」、とか、「ありのままの相手を受け入れる」。。という事がすっぽり抜けていたんだろうな。。と思いました。
やはり、日々意識していないと、抜け落ちてしまうんですね。
「受け入れる」
・ありのままの自分を
・ありのままの相手を(相手の反応、行動を)
・結果を
・状況を
・・・・・
今の私にはこれが「テーマ」として来ているように感じました。
そして
浮上してきたこのテーマを、数日後(10/15)の「てんびんざ座」新月(金環日食でもある)で、何かしらの種をまきたいな。。と思いました。
では、、、
今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて☆
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