ハレの日、ケの日

皆様こんにちは!
優輝です。

「ハレの日」というのは、よく耳にされるのではないでしょうか?
「ハレの日」の席にお招きいただき・・・
「ハレの日」を迎えるおふたりに・・・・など

ハレとは、非日常的な、特別な日のこと。
晴着を着たり、赤飯を食べたり、お酒でお祝いしたり、ワクワクして楽し気で賑やかでめでたくて・・お祭りのような日。


一方、「ケの日」というのは、普段通りの日常のこと。
当たり前の、普段と変わらない日。



占星術でいうなら、ハレの日は獅子座、ケの日は蟹座のようなイメージです。
華やかで派手で賑やかで目立つしし座と、細やかに日常をこなすイメージのかに座。


こうして2つを比べてみると、やはり、多くの方が、賑やかで華やかな「ハレの日」に心惹かれる、心奪われるのではないでしょうか。

私も、祭り!と聞くと、心が浮き立つし、パーッと気持ちが華やぐ。
ハレの日が詰まったような人生を送りたい。と憧れもあります。





だからついつい、
「ケ」を馬鹿にしてしまう。
日常の些細な小さな出来事なんていう「地味で退屈」なものより、派手で華やかで「特別感」のあるものにばかり目が行く。


そうすると、何か目標を持った時、壮大な未来ビジョンを描いたとき、そこ(最終地点)ばかりに気をとられて、そこまでに至る小さな積み重ねがばかばかしく思えたり、退屈なものに思えたりする。

最終地点に到着するためには、小さな地味な積み重ねが必要不可欠なのに。



また、自分のすぐそばにいつも当たり前に「ある」ものに対して、敬意を払わなかったり雑に扱ったりする。

本当はすごく大事な物であって、でも、そういう「当たり前」っていうのは、「失って」初めて、そのありがたさに気づく。
どんなに自分にかけがえのないものだったかに気づく。


私のイメージでは「ハレの日」は、華やかできらびやかなお神輿、「ケの日」はその神輿を担いでいる沢山の添えられた手=神輿をかつぐ土台。


当たり前だけど、土台が無かったり、土台がぐらついていたら、上に乗るものは安定感を失う。



一年で考えても、お祭り(ハレ)が年に数回なのに対して、後の残りは全部「ケの日」ということになる。
ほぼ、ほぼが「ケの日」

貴重なハレの日を待ち望んんで、楽しみにして、その日に期待して生きるのもいいが、残りの圧倒的に多い「ケ」の日を大切に味わいながら、ただ「在ることに」感謝して生きれたら。。

ハレとケはセットと言われます。

いい事もあれば悪いこともある、光あれば影がある・・・

2つでひとつ。

半分だけを望んで、半分を拒絶したら、人生の半分しか生きられない(味わえない)


だからこそ、ケの日を大事に生きたい。と思います。
ケの日が自分の人生において、どんなに大事だったか、後で必ず気が付く日が来ると思うんです。


あの、なんてことの無い毎日が、あのいつもの笑顔が、、、どんなに大事だったか。


そして、一日一日を自分の人生創造に必要不可欠な大事な「ピース」だと思って生きて生きたい。

頭の中に「365日のマーチ」が聞こえてきました(笑)・・・古いですね 苦笑



ではでは、この辺で!

最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて☆







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Posted by 優輝