カッコいい、カッコ悪い
皆様こんにちは!
優輝です。
今回の満月(10/29のおうし座満月)で、プライドや凝り固まった価値観を持っていた私自身が、もうとっくに社会から置いてけぼりになっていたり、時代遅れになっていたことに気が付いた(思い知らされるような出来事も有り)のですが、じゃあ、私はどうしたらいい?
という、スタート地点というか、生き方の根源を見つめなおすような流れが入ってきたわけですが・・・
私は「カッコいい」「カッコ悪い」を、自分の生き方の指針にしているのですが、「カッコいい」って何だろう?って今更ながら思ったんです。
私にとっての「カッコいい」の定義の再確認と、更新のような感じです。
私は、昔から要領が悪く(親にも散々怒られた経験あり)、それがすごくカッコ悪い事のように思いこんでいました。
周りの要領のいい人はみなスマートに見え、要領の悪い私は、損ばかりしていてみっともない、どんくさい哀れな犠牲者。として自分を捉えているところがあったと思います。
だから、要領よく=器用に生きることがカッコいい生き方である。という定義がずーっと私の中に根付いていたのだと思います。
でも、、、本当にそうなのだろうか?
不器用でも、要領が悪くても、それってカッコ悪い事なのか?という疑問が湧きました。
不器用で要領が悪い自分、それ故に損をしやすい(と思いこんでいる)自分を守りフォローするため、そういう自分を隠すことに必死だった人生。
周りからスマートでカッコよくみられるためにしてきたあらゆる努力。
そういう生き方に疲れ果てた。というのもあると思います。
そういう生き方(隠したり、見栄をはったりするような)が通用しなくなってきているのもある。
もう、自由に生きたい。不自由から解放されたい。
いろんな 思いがあふれ出てきた満月だったと思います。
そして、同時に、本当の「カッコよさ」「カッコいい生き方」について、、、
例えば、、、カッコいい「仕事」なんてものはないという事に気づいた。
周りから見て憧れられる仕事(クリエイティブ、華やか、キャリアウーマン、独立起業・・・)というイメージからの脱却も今回ありました。
全部自分の想像。イメージでしかない。という事に今更気づいた。
どんな仕事をしているか?や、どんな肩書がついているか?や、働いている環境がカッコいいんじゃない。
やはり、[人]なんですよね。。
その仕事でその人が何を表現しようとしているか?だったり、どんな思いをもって仕事をしているか?だったり、、、そういう「人」の想いや姿勢の部分に私は「カッコよさ」を本当は感じている。
だけど、それは上辺のイメージによって見えずらくなってしまっている・・・
だから、この仕事をしていればカッコいいとか、この仕事をしていれば周りから憧れられる・・・とかいうイメージを一掃したいと思いました。
そういうイメージで仕事をすると、例えば、華やかなイメージを持っていたのに、いざやってみたら地味で、地道な努力が必要な仕事だった場合、思ったのと違う・・・となってしまう。
私もかつて、会社員をやめて、華やかな(私のイメージ)美容業界でバリバリ働こう!と思いたち、美容師免許を取るためにサロンに転職してアシスタントをやった時。。。シャンプーだったりマッサージだったり掃除に選択・・・あまりのイメージの違いに愕然としてしまった経験があります。
イメージではなく、もっともっと自分の奥深くにある「カッコよさ」のエッセンスを見つけて、それを磨いていく。

私にとってのエッセンスは、、、、、少し考えてみたいと思います。
ハッキリと、これだ!というものが見つかったらいずれ書かせてもらうかもしれません。
皆さまにとっての「カッコいい」はどんなですか?
では今日はこの辺で。。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝を込めて。
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